ミスチル桜井和寿とバンプ藤原基央、そして尾崎豊の共通点と相違点。

Mr.Childrenの桜井和寿とBUMP OF CHICKENの藤原基央、そして尾崎豊には共通点があるように感じませんか?

で、当然ですが、その中で相違点も幾つかあります。

今日はこの興味深い三者三様の天才アーティスト達の世界観について、思うところを筆者なりに殴り書きしてみたいと思います。

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3大アーティストの共通テーマ

筆者はミスチルとバンプと尾崎を並行して聴きながら今日まで生きて来たわけですが、

ふと思ったんですよね。「何かこのアーティスト達って根幹に流れている歌詞のテーマや世界観って共通している気がするな」って。

そのテーマというのが、「生きていくことと、苦しみや悲しみ、そして喜び」なんだろうと思ったんです。(ただし三者ともとくに『苦しみ』の成分が強い気はしますけど)

 

「それって日本のアーティストなら
みんな同じような歌を歌ってない?」

「要するに愛とか自由とか夢とか友情
みたいなテーマの歌詞が多いってことでしょ?」

なんて声が聞こえてきそうですし、事実彼らの曲にはそういう題材を用いた歌詞やフレーズが沢山見られます。

 

・・・ただし、その『質』はまるで違う。

 

同じテーマでも、その辺のファッション音楽とは一線を画しているのは聴けば分かりますよね?

なんというか、楽曲のどこを切っても血がドバッと流れ出てくるような生々しさが彼らの作る楽曲にはあるんです。

 

その生々しさの『正体』について筆者が思いついた憶測を書いていこうっていうのが、今回の記事の趣旨です。

そんなわけで、登場年代順(80年代⇒尾崎豊、90年代⇒Mr.Children、2000年代⇒BUMP OF CHICKEN)の順番に書きます。

 

尾崎豊の場合

 

あ、先にことわっておきます。ファンゆえに呼び捨て御免!笑

 

『愛』とか『自由』って単語を耳にする度に尾崎豊の歌詞を思い出す人は少なくないでしょう。事実、彼が発表してきた曲の中でそれらのフレーズが無い曲を見つけるのは至難の業。

尾崎豊というアーティストは『愛』や『自由』、そして『夢』という、人生を生きる上で間違いなく重要な要素について最期までとことん渇望し続けた人なのだと思います。

 

今(というか昔から)、ヒットチャートの上位に登りつめている音楽で歌われることが極めて多いそれらの要素ですが、

尾崎ほど、それらを声をガラガラに枯らしながら、あまりにも切実に渇望したアーティストはなかなか稀です。

 

「ステージ上では、クールで格好いいけれど、普段は気さくで明るい好青年だったよ」
尾崎と親交のあった多くの音楽関係者は彼について、そう語ります。

 

けれども、ステージ上で(今の若者が見たら「イタイ」と感じるほどに)格好つけてクールぶって振る舞う尾崎と、

ステージを下りて、友人や家族、親しい人に対して社交的に振る舞う尾崎。

どちらが『本当の彼の顔だったのか?』というと、前者だったのではないかと筆者は思ってしまうのです。あの気迫溢れるステージングが尾崎豊というアーティストを演じていただけ、とは思えなくないですか?

 

自らを演じるどころか、その世界観の中に入り込み、陶酔するというスタイルを貫き続けたのが、尾崎豊だったのだと思います。

Mr.Children桜井和寿の場合

時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば 生きる事は実に容易い

♪くるみ

ミスチルファンの方なら一瞬で思い出せるような名曲『くるみ』内で登場するフレーズですが、

この『くるみ』をリリースする以前に桜井さんが、別の真逆ともとれる歌詞を書いていたことに気づいていますか?

 

そうです。これまた名曲、『終わりなき旅』の一節。

心配ないぜ 時は無情な程に 全てを洗い流してくれる

♪終わりなき旅

 

これは一体どういうことなのでしょうか?

『終わりなき旅』をリリースした1998年から『くるみ』をリリースした2003までの5年間の間に桜井さんの気分や価値観が変わった?

 

たしかにそういう捉え方もできるかもしれないですが、筆者はこう考えています。

ナルシスティックなまでに自己陶酔する尾崎豊に対して、桜井さんはかなり自分自身を俯瞰(ふかん)する癖がついている。

少し離れた場所から自分を見つめることが出来る分、桜井さんの場合は自らの価値観を多方面から様々に描写しているのだと。

考えても見れば、『時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば 生きる事は実に容易い』というフレーズも

『心配ないぜ 時は無情な程に 全てを洗い流してくれる』というフレーズも、

 

そのどちらも言われてみれば真理のような気がするし間違っていないと思うんですよね。

ただ、どちらの一節を用いるべきか?とかって時と場合と場面によって変わってくるような気がするってだけで。

 

もっと言っちゃうと、尾崎はあくまで自分自身の中から沸き上がってくる感情を痛烈にあくまで『自分の言葉』として吐露しますが、

桜井さんは、自分の中から沸き上がってくる感情なのは間違いないのだろうけど、どこかで『歌詞内に登場する主人公の役柄を演じている』印象を受けます。

 

そういう意味で、桜井さんの場合は尾崎と比べて、自らの立ち位置について少し冷静ですね。

「またこんなことで性懲りもなくもがき苦しんでいます。そんな自分にタメ息でちゃいますよ」

と嘯(うそぶ)く余裕くらいならありそうです。それはそれでリアリストとしてしんどい生き方、表現方法なのだと思いますが・・・。

 

BUMP OF CHICKEN藤原基央の場合

藤くんの世界観については、尾崎と桜井さんの中間的な含みを持たせつつ、また違った表現方法なのだという気がします。
私自身、藤原基央の熱狂的なファンですし、彼については別の記事にも書いてありますのでここでは多くは語りませんが・・・><

天才・BUMP藤くんのインタビューから見る音楽観。

 

それぞれの独立した世界観を持つ三者が紡ぎ出す共通テーマ。。。非常に味わい深いですね。

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