煩悩の意味を子供向けに分かりやすく説明するなら?使い方を例で解説

「お母さん、煩悩ってどういう意味なの?」と、お子さんに聞かれたとき、あなたはどういう風に答えてあげますか?

煩悩という言葉の定義が不明瞭だと、なかなか分かりやすく使い方の例などを用いて説明するのって難しいですよね。。。

また、煩悩というのは必要なのでしょうか?不必要なのでしょうか?煩悩がない人とはどんな人なんだろう・・・?

今日の記事では、煩悩という言葉の意味を、子供向けにも説明できるくらい、分かりやすく解説していきます。

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煩悩の意味をわかりやすく説明するとこうなります

除夜の鐘が108回鳴り響く大晦日。1回鐘が打ち鳴らされるごとに煩悩を消してくれるという作用があることで有名ですよね。

大晦日という年の締めくくりに、わざわざ鐘を鳴らし消される煩悩とは一体どういうものなのでしょうか?

 

辞書で「煩悩」という単語を調べると以下のようになります。

ぼん‐のう〔‐ナウ〕【煩悩】
《(梵)kleśaの訳。苦悩・心痛の意》仏語。身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用。貪 (とん) ・瞋 (しん) ・痴 (ち) は根元的な煩悩として三毒という。染。結。垢 (く) 。「煩悩にさいなまれる」「煩悩を解脱する」
(出典:goo辞書)

何となく分かるような分からないような・・・。辞書で引いた途端に、何だか逆に難解な言葉のように感じてきてしまいますね。笑

 

これをなるべく分かりやすく解説していきますと。。。

煩悩という概念を生み出したのは、私たち日本人にも馴染み深い仏教になります。

仏教発祥の地であるサンスクリットでは、苦しめる汚れるなどというネガティブな意味合いが煩悩という言葉に含まれているんですね。

この煩悩があるからこそ、人間の心身は苦しんでしまうというのが仏教の教えなのです。

 

貪(とん)瞋恚(じん)痴(ち)の主要な三毒と、慢(まん)疑(ぎ)悪見(あくけん)を加え、これが根本煩悩と呼ばれるものです。

特に、「貪(欲張り)、瞋恚(怒り)、癡(無知)」からなる三毒は人間の諸悪の根源とされるくらい良くないこととされているんですね。

次いで「慢(慢心)・疑(疑い)・悪見(悪い思想)」と書かれるように、慢心して天狗になったり、何かを疑ったり間違った思想を持つことも良くないと。。

 

これらを強引に混ぜ合わせると、

めちゃくちゃ欲張りで、怒ってばかりいる上に愚か者。しかもすぐ天狗になるし疑り深いし悪いことばかり考えてる人。

こういう人が、煩悩100%の人ということになりますね。うん、確かにイヤです。。なるべくなら関わりたくないタイプの人です。

 

言い換えると「欲望まみれで自己中な考えしかできない悪い人」と表現するのが適切なのではないでしょうか。

・・・何だか、戦隊ヒーローものの作品に登場する悪の親玉のようなイメージが湧いてきますね。笑

 

煩悩と聞くと、一般的には強い欲がある状態のことを指す場合が多い気がしますが、実際には貪(欲張り)の他にも致命的に良くない要素があと2つ、その次に良くない要素が3つと、なかなか深い言葉なんですね。

 

煩悩という言葉の使い方を子供向けに説明するなら・・・

そして、冒頭の「お母さん、煩悩ってどういう意味なの?」と、お子さんに聞かれたときの答え方について解説します。

子供向けに煩悩の意味を説明するなら、具体的に例をだして使い方を教えてあげるのも分かりやすくていいと思いますよ。

 

貪(とん)=お小遣いを取っておかなくて次々と欲しいものばかり買ってると、借金ができてしまう

瞋恚(じん)=怒ってばかりいると、友達ともしょっちゅうケンカするし嫌われ者になってしまう

癡(ち)=勉強を全然しないで好きなことばかりやっていると、常識が分からないので社会から仲間はずれにされてしまう

慢(まん)=人に感謝もしないで自慢ばかりしていると、みんなと仲良くなれなくなってしまう

疑(ぎ)=人のことを疑ってばかりいて、自分のことしか正しいと思わない人は、知識が付かないからバカになってしまう

悪見(あくけん)=間違った悪いことばかり考えていると、最後は自分に跳ね返ってきてイヤな想いをしてしまう

こんな感じでしょうか?

 

小さいお子さんの場合は、煩悩があればあるほど「ばいきんまん」に近いし、

煩悩がなくなるほど「アンパンマン」に近づけるという例え話が分かりやすい&煩悩に満ち満ちているのは良くないんだと伝えるのに一番効果があるかもしれません。

煩悩の意味を考えれば考えるほど、ばいきんまんは煩悩のカタマリという気がしますので。笑

煩悩がない人ってすごい?生きるために不必要なの?

大晦日の除夜の鐘では108回もの回数を鳴らし煩悩無くそうとします。また、多いところだと8400回も除夜の鐘を鳴らす場面があるということです。

つまり、人の頭の中の煩悩というのは、とてつもなく沢山あるということになりますね。汗

それでは、この煩悩は、人間が生きていく上で絶対に必要ないものなのでしょうか?

 

私は、人が人として生きていく上で、ある程度の煩悩は必要だと思います。煩悩100%の状態は当然良くないですが、ほどほどには必要なものなのではないか?という考えです。

「新しいおもちゃが欲しい!」からこそ、お小遣いをもらうために勉強を頑張りますし、「すごく腹が立った」からこそ、もう
二度とそんな想いはしないで済むようにと努力することもあるでしょう。

適度な煩悩が、人のやる気を促したり成長に繋がったりする効果をもたらしてくれると、私は思うのです。

 

また、仏教の空(くう)には、”一は全、全は一”といった意味合いが含まれます。一人は皆んなのために、みんなは一人のためにということですね。

その発想でいくと、「世界中のみんなの幸せを願う」のような崇高で純粋な欲望でさえも良くないこととなってしまいます。

 

煩悩が100%ない人というのは「食べたくないし、トイレも行かない。怒らないけど笑いもしない、ボーッとしてるだけの人」ということになってしまいます。

それで人は生きていけないのではないでしょうか?

 

ほどほどの煩悩があるからこそ、人は人としてここまで進化、発展できたと思うんですね。

ですから、私は「煩悩はある程度必要。だけどほどほどに」と考えています。

これをアンパンマンで例えると・・・難しいですね。。私もまだまだ修行が足りません。笑

 

まとめ

煩悩という言葉は簡単なようで、考えれば考えるほど実は奥深いものなんですね。

煩悩はほどほどに、ただし間違っても悪の親玉にはならないくらいに、ですね。笑

除夜の鐘が鳴り響く大晦日は、除夜の鐘を存分に心の中全体に染み込ませて、ゼロのスッキリした状態になれれば、フレッシュな気持ちで新年を迎えられそうです!

 

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